原題『Mamma Roma』(1962)
監督:
ピエル・パオロ・パゾリーニ
脚本:
ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作国:イタリア
制作会社:Arco Film
言語:イタリア語
マンマ・ローマは別れて暮らしていた16歳の息子エットレと一緒に暮らすため売春婦稼業から足を洗う。息子にはカタギの人生を送って欲しいと奮闘するが、昔のヒモのカルミネが現れて金をせびる。売春婦の過去を息子に知られたくないマンマ・ローマは再び体を売ることに。母親のそんな思いも知らず息子は不良仲間とつるみ、盗みに入る。しかし逮捕され、獄中で病死する。
1995年1月18日、『ニューヨーク・タイムズ』紙のジャネット・マスリンは、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカに代表される戦後イタリアのネオレアリズモの模倣であるのは明らかだが、後のパゾリーニ映画に通じる官能性と暗い因襲打破がこの映画には渦巻いている、と評している
アンナ・マニャーニ
(マンマ・ローマ)
父親はエジプト人であると長く紹介されてきたが、実際の父親はカラブリア出身のイタリア人である。母マリーナはアンナを生んだ後、娘を実母に預けてアレクサンドリアへ渡り、裕福なオーストリア人と結婚した。アンナは、祖母の家で祖母と5人の叔母たちから育てられた。第一次世界大戦後に祖母は懸命に働いてアンナをフランス人修道女が運営する寄宿学校へ入れたが、短期間で終わった。ピアノを学んだアンナはローマのサンタ・チェチーリア音楽院[1]で2年間学んだ。その後母を訪ねてアレクサンドリアへ向かうが、母から愛されなかった彼女には苦い思いしか残らなかった。ローマに戻ったアンナは音楽から演劇に転向する。数多くの作品でウェイトレスや歌手という端役を務めた後、1934年
アンナ・マニャーニ
(マンマ・ローマ)
父親はエジプト人であると長く紹介されてきたが、実際の父親はカラブリア出身のイタリア人である。母マリーナはアンナを生んだ後、娘を実母に預けてアレクサンドリアへ渡り、裕福なオーストリア人と結婚した。アンナは、祖母の家で祖母と5人の叔母たちから育てられた。第一次世界大戦後に祖母は懸命に働いてアンナをフランス人修道女が運営する寄宿学校へ入れたが、短期間で終わった。ピアノを学んだアンナはローマのサンタ・チェチーリア音楽院[1]で2年間学んだ。その後母を訪ねてアレクサンドリアへ向かうが、母から愛されなかった彼女には苦い思いしか残らなかった。ローマに戻ったアンナは音楽から演劇に転向する。数多くの作品でウェイトレスや歌手という端役を務めた後、1934年映画デビュー。彫りが深い顔立ち、線の太いいかにも「南イタリア女」の風貌で、ロッセリーニ、ルノワール、ヴィスコンティらの作品に出演した。
(パソリーニ)(Pier Paolo Pasolini, 1922年3月5日 - 1975年11月2日) は、イタリアの映画監督、脚本家、小説家、詩人、劇作家、評論家、思想家。
特異な作風、後世に与えた影響、そして謎の死など、20世紀の映画史において伝説的な存在である。
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